うたたね
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商品カテゴリ: | アート,建築,デザイン
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セールスランク: | 20535 位
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発送可能時期: | 通常3〜5週間以内に発送
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参考価格: | ¥ 3,150 (消費税込)
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SYPHER
人生を生きて行くということは、すなわち、うたたねのようなものなのでしょうか。。。。。
この地球という星を旅してみると感じます。諸行無常。
この方の写真からはいつも命の儚さと、それゆえただよう切なさ(刹那さ)を感じます。
産まれて来る時代が違っていたら、きっと巫女にでもなっていたのではないだろうか?
そんなふうにも感じます。
凡人には絶対に撮れない(感じられない)世界の隅々に宿るオーラを彼女は確信をもって切り取っているように思う。
今はやりのスピリチュアル?メッセイジ?
そんなメディアによる、安っぽい手垢に塗れたものではなく、個人的な表出だと思うから心から感じ入ってしまうのかもしれません。
佐内さんの最初の写真集にも、同じようなものを感じましたが、やはり男と女の違いでしょうか、彼のはもっと観念的で硬い。世界との格闘の軌跡。
川内さんの写真は自由で柔らかく、包み込む光をそのまま写し込み、時に冷徹に突き放しているように見えて実は内包してしまっている、そんな器の大きさも感じます。
ユーミンの歌に『やさしさに包まれたなら』という名曲がありましたが、そんな感じ。
目に映る、すべてのものはメッセージ。
写真家は物書きではないので、言葉にできないものを時に言葉よりもっと深く、雄弁にダイレクトに表現できると信じていますが、もっとも成功した写真集だと思う。
ウォルフガング ティルマンスの静物の写真を見たときに感じたものをもっと豊かに感じさせてくれます。
パリで大規模な展覧会をしていたようですが、ヨーロッパの人たちもびっくりしたでしょうね。 ここにある写真は、観念でも概念でもないのですから。
最高。
通り過ぎる時間
いわゆる写真芸術という概念から遠い作品群なので、以前ぱらぱらと見たときは「!?」という第一印象だった。ピントを合わせようとしていない!露出もいつもオーバー?謎。おそるおそる、傷に張り付いたガーゼを剥ぐように見ていく。表紙から順に。スプーンで掬ったタピオカ/からみあう蝶?/ワイングラスの水/少年とパンチボールとホームの屋根/アパートに降る街灯の光/何事?と、立ち上がるハムスターたち/教会の十字架と赤いブロッケン/亡霊と紙一重のじいさん/蛍群舞のような夜景/海もきらきら/切れてしまいそうなネット/生まれたシャボン玉/餌に群がり口を開ける鯉ども/超怖い二十数個の目玉焼き/星の軌跡のような蛍光灯/飛行機雲と放射状の雲そして山並み/瓦礫に喰らいつくショベルカーの嘴/不明/カメカモメカモメ/窓の中の人魂のようなブラウン管の明かり/提灯/橋脚?/激しく血管の浮く手/その血管のような木の根/飲み込まれながら渦巻く水/泡立つブルー/腕を登る勇者の蟻/網棚と皮手袋のおじさん1/不明/網棚と皮手袋のおじさん2/網棚と皮手袋のおじさん3/不明/クラッカーから飛び出すテープ/イルカとしずく/風にはためくレースカーテン/洗濯機の渦/曇り空にぽっかり空いた穴から青空/ひび割れた地面に穴/蛍光灯の紐/民家の上の稲妻/ガタガタゴーミシン/パンクしたタイヤ/縁側のV字光/蜂のムクロ/信号待ちハレーション・・・ここまでで1/3くらい。きりがない。何度も見てから、心の中でタイトルをつけながら、最後まで、もう一度見た。きれいだし怖い。通り過ぎてゆく時間が、ちょっとずつ伝わる。朝ドラ「こころ」のオープニング写真もそうだが、川内さんの写真は、とっても普通で、逆の意味で???を突きつけられる写真だと思う。
生命
「死んでしまうということ」という副題がつけられているが、 たしかに、ドキッとするような光景が集められている。 生命のはかなさに思いを巡らさせられる。
リトルモア
Cui Cui the eyes,the ears, 種を蒔く/Semear AILA 生きている
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